限られた時間

前回、生きていく上でこれだけはなくてはいけない3つを紹介した。

時間、人、体(身体)

これら3つは誰にとっても必要であり当たり前にあるものだ。

しかし、これら3つの中で時間だけが物体ではない。

そのため頭の中で大切と思っているだけで一日終わってるなんてこともよくある話だと思う。

ただ、僕はこの三つの中だと時間が一番重要かつ一番疎かにしがちだとも感じる。

ということで、今回は時間について話していこうと思う。

時間は有限 

当たり前だが、124時間と時間は決まっている。1年間は365日というのも決まっている。

この限られた時間の中で自分が何をしなくてはいけないのか。

そして、どう過ごすのが正しいのか。

自分もそうだが、これを考える事が出来ていない人がものすごく多いと思う。

朝起きたらとりあえず携帯をいじってご飯も食べずにYouTubeでくだらない動画を観る。そして貴重な時間を今後一ミリも役に立たないくだらない動画に捧げてしまい、いつのまにかお昼。こういう生活をしてる人が現代では特に多いのではないだろうか。

時間がない事はない 

先程、時間は124時間という話をしたがこれは誰もが持っているもので、尚且つ平等で1秒も狂っていない。国が違くても話す言語が違くても、自分とは話すことすらできない遠い存在のスーパースターや自分の大好きな芸能人でも誰でもこの時間というものは同じである。

僕は同い年の人がテレビなどのメディアなどで活躍していると悔しい気持ちになるがそれも自分のせいである。同じ時間を上手に活用できなかった、使いこなせなかった自分が悪いのである。

くだらないYouTubeやゲーム実況など観てる暇があったら今後のことについてしっかりと自分自身に向き合ったり、何かに取り組んだり、勉強したりなどたくさん時間はあった。

そして、電車の中での移動中も勉強したりなど時間の使い方は人それぞれであり多種多様である。なんなら、食事中に勉強したって僕は構わないと思っている。

食事中くらい休みなとかマナーの問題とか色々あるがそこは臨機応変に自分なりに時間の使い方をも学んでいかないとまた同じ過ちを繰り返し、時間を悪い方に浪費してしまう。

過去の時間と未来の時間 

今までを振り返って、無駄な時間が僕はものすごく多かった。

今まで過ごした無駄な時間はもう返ってこない。

ただ、この無駄な時間をアップデートする事は可能である。無駄な時間を過ごしてきたからこそあの時間は無駄だったと割り切る事ができ、改善できると思う。

しかし、持論にはなるが場合によっては無駄な時間を少しばかし経験することも大切だと問いたい。なぜなら無駄な時間を過ごした自分だからこそ、こうして時間についてのブログを書けている。

つまり、僕が何を言いたいかと言うと、その時に無駄だったと思っている時間を将来的に役に立つ時間に置き換えればいいというわけだ。

だらだら過ごしている時間が多すぎるのは良くないが、それが将来何かしらに繋がるのであれば悪いことではない。

ただ、その貴重な時間を削ってまでだらだらする必要があるのだろうか。

将来に繋がる繋がらないは誰にもわからない。

それなら、その貴重な時間を未来のためにスキルを習得するなど勉強の時間にあてた方が将来に直接繋がらなかったとしても絶対に前の自分より成長はしているだろう。

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